ほめられたい

猫は生きているだけでほめられている

2022年になった。フリーランスとして働き始めてから7年目に入ったことになる。
2015年に勢いで会社を辞めた後、就職活動をするのが嫌でなんとなくフリーランスとして働き始めた。こんなにも長い間、個人で仕事を受注し続け、納品し、家賃や税金を払い、ご飯を食べられる日々を送れるとは思っていなかった。
特にフリーランスとして働き始めてた当初は「嫌だ嫌だ」「やりたくなさすぎる」「もうダメだもう辞めよう」と毎日のように考えていたことを思うと、自分で自分を褒めてあげたい気持ちになる。

日本女子マラソン界のパイオニア的存在である有森裕子さんは、1996年のアトランタオリンピックで銅メダルを獲得した際に次のように語っている。

「なんでもっと頑張れなかったのかと思うレースはしたくなかったし、今回はそう思っていません」
「初めて自分で自分をほめたいと思います」

実に謙虚だ。「それだけでいいのぉ…?」と不安になるほどである。

僕は毎年確定申告の頃に
「なんでこんなにも頑張ったのかと思う仕事をしてきたし、今年もそう思っています」
「今年も自分で自分をほめたいと思います」
みたいになっている。何なら一つの仕事を終えた後にもこうなる。
もしもオリンピックでメダルでも獲得しようものなら、ちょっとコンビニに行くだけでもメダルを首にかけてアピールしまくるだろう。

ほめられたい気持ちは会社員時代から持っていたはずだが、フリーランスになってから一層強くなったものだと思う。当時も常日頃からほめられたいと思っていたはずだが、仕事をこなす度に社内外から「お疲れ様」「ありがとう」と言われていた。たとえ単なる社交辞令や機会的な挨拶だとしてもそれらは”ほめ”に近しいものだったはずだ。
しかしフリーランスになってからそういったものはなくなった。顧客によっては、こちらが納品したらその後は音沙汰なく、あとは「請求書ください」の連絡で仕事が終わってしまうケースもある。
もちろん、フリーランスにとっては仕事の依頼とその報酬が”ほめ”を意味するものではある。ただ、それでも、もうちょっとほめてくれないか…?せめてもう少し人扱いしてくれないか…?と思ったりもする。

どうしたらこの気持ちと折り合いを付けられるのか。フリーランス生活7年目ではまだたどり着けていない。
今わかっているのは、恐らくこの気持ちは今後も持ち続けていくだろうし、むしろ年々強くなっていくはずだろうということと、ほめられずともやっていくために自分で自分をほめ続けていくしかないということだけだ。

というわけで、今年も自分で自分をほめるために仕事をし、生きていこう。
君はえらく、僕もえらいのである。

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