生存行動で生存能力の欠如を知る

ストレスが溜まった時や、何もかも上手くいかないとやけっぱちになった時、料理をして気分転換をする。大量の野菜やでかい肉を切り刻むと気分がよくなるし、ちょっとしたクリエイティブな活動によって少しだけ自己肯定感を得られるからだ。
最近は煮込み料理を作ることが多い。一度に大量に作れるし、グツグツ言う鍋を見ながら酒を飲むと頭がすっきりする。
レシピは至って普通だ。市販のレトルトを使ったシチューやカレー。適当な調味料で煮込んだ何らかの肉や魚。冬場はおでんで鍋を満たすのも楽しい。

ただ、煮込み料理を作っていると自分で自分が不安になることがある。
しょっちゅう具材を入れすぎて鍋やフライパンをミッチミチにしてしまい、吹きこぼしてしまうのだ。
同じ料理を数日続けて食べても大丈夫な質なので料理を作りすぎてしまうのは別に構わないし、火を使う時にはコンロから離れないようにしているので火事の心配もないのだが、毎度毎度鍋を吹きこぼす度に「お前の空間認識能力はどうなっているんだ…」と自問自答してしまう。

思えば子供の頃から空間認識能力が低かったような気がする。
スポーツなど身体を動かすことは得意だったので、周囲に比べて著しく低いわけではなかったはずだ。しかし、地図を読むのが下手でしょっちゅう迷子になっていたし、人や物の大きさもすぐに把握できなかった。今でも「これは自宅のこの位置にぴったりだ」と思って買った家具のサイズが実は全然違っていて呆然とすることがよくある(事前にちゃんと計測すればいいという話ではある)。

空間認識能力は、敵から逃げたり、獲物を捕らえたりと、動物の生存に非常に重要な能力と言われているらしい。幸い、物理的に敵から逃げたり、獲物を捕らえたりする必要がない時代に生きているので、今さら遮二無二頑張って空間認識能力を鍛えようとも思わないし、煮込み料理吹きこぼしがち問題は食い意地を抑えることで対応していくつもりだ。

しかし、生きるための行動である料理を通して、生きるために必要とされる能力の低さに気づくのは、何とも皮肉なものである。

とはいえ、ミッチミチの食材を見ると心惹かれることに抗いがたいのも事実である

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