時速200kmで過去の自分を理解する
遠方への出張があったため久しぶりに新幹線に乗った。目的地は九州なので、東京から行くなら飛行機に乗った方が断然速くて楽だ。ただ僕は、特に決められていない限り極力新幹線で移動している。新幹線に乗るのが好きだからだ。
LCCや早割を除けば基本的に飛行機よりも安いし、グリーン車でなくとも座席もそれなりに広い。搭乗前の煩わしい手続きもなく、適度な環境音も読書や仕事のいい相棒になる。今はもう止めたが、N700系の狭い喫煙室で狭い窓を見ながらボケっと吸うタバコも妙に美味かった。
何より外の景色を眺めながら移動できる点がいい。着席し、駅弁を食べ、ビールを開ける。小田原を過ぎた辺りから延々と続く田んぼや一軒家、近年増加している無機質なソーラーパネル郡や廃屋、幹線道路の両脇にある異様に大きいすき家や洋服の青山、地方の企業特有の何をやっているのかイマイチ謎な看板、妙に凝ったデザインの社屋や機能一点突破の硬派な工場…。こうしたありふれた、ともすれば日本の衰退を象徴するような景色でも、時速200km以上の車内から眺めていると、なんだかとても愛おしいものに見えてくる。まさしく"傍観者"という無責任極まりない立場で、しかも一瞬の邂逅だからこそ味わえる背徳的な楽しみと言えるかもしれない。
途中下車はできない代わりに、延々と新幹線に乗り続けていられる「一人飲み専門店・新幹線」や「コワーキングスペース新幹線」が欲しいと本気で思ってもいる。
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そういえば、2021年に実際に『居酒屋新幹線』というドラマがあった。日常的に全国各地を出張するサラリーマンが、行く先々で土地の名物を購入し、帰りの新幹線の中で舌鼓をうつというものだ。
この手のグルメ系深夜ドラマは好きでよく視聴しているのだが、このドラマに関してはどうにも受け付けず、3,4回だけ見て視聴を止めてしまった。出演している俳優も好きだったし、料理も美味しそうだった。何より新幹線が舞台になっているのに何故途中で見なくなってしまったのか、当時はいまいち理解できていなかったが、今ならわかる。タイトルに"新幹線"と付けながらも、移動、そして車窓からの眺めにフォーカスされていなかったからだ。
毎回終盤に主人公が料理やお酒を楽しむのは新幹線を模したセットの中だった。周囲は暗く、主人公の席だけがライトアップされる中、座席テーブルに料理を広げる。それらをスマホで撮影してSNSにアップすると、同じような趣味を持ったフォロワーから称賛の声や、土地や料理に関する豆知識が寄せられたりする。そのような中で主人公は独白しながら飲食をしていくのだが、これらの"声"に、車内の様子や車窓からの景色に言及するものは(少なくとも僕が見ていた数回の中では)まったくなかった。なぜ、居酒屋新幹線のメインディッシュとも言える車窓からの景色に触れないのかという違和感が途中で視聴を止めさせたのである。
もちろん楽しみ方は人それぞれだ。そもそもドラマの中で景色を映すのは余計な手間が掛かるし、話の軸もブレるので当然ではある。だが、当時、上手く言語化できないながらも、僕にとっての新幹線の楽しさがないがしろにされている様子に妙な怒りが沸いていたのだ。
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この文章は移動中の新幹線の中で書いたのだが、新幹線という、時速200km以上で日本を突っ走り、他者に囲まれながらもごくプライベートな空間を築けるとても特異な場で己と向き合える時間を持ったからこそ、過去の自分をわかってあげられたのだなと思う。
やはり新幹線には不思議な効力があるのだと実感している。
居酒屋新幹線、コワーキングスペース新幹線もいいが、自己を見つめ直すための禅寺新幹線なんかもいいかもしれない。いつかJRに実現してもらいたい。