スマホを落としただけなのに

先日スマホの機種変更をした。
それまでのスマホは7年ほど使っていた。その前の機種もたしか5年ほど使っていたと思う。スマホの買い替えサイクルは平均して3〜4年ほどらしいので、長く使っていた方なのだろう。
だが、物持ちが良いと言えば聞こえはいいが、機種変更に伴う様々な手続きや折衝、プランの検討・変更、データの整理・引き継ぎといった行為をできる限りやりたくないというものぐさ根性故に機種変更をずるずると先延ばしにし続けていただけだ。実際、購入後3年ほどで電池容量に不具合が出ていたし、最後の1,2年は常に充電器を手放せず、データ容量も一杯一杯で、日々難儀し続けていたものだ。


そんな不精者が機種変更に踏み切った理由は単純明快で、ある朝目覚めたら、スマホがうんともすんとも言わない状態になっていたからだ。
その前日、久しぶりに真夜中まで外で酒を飲んで酩酊状態になりながら数kmの道のりを歩いて帰ったのだが、その際にスマホを落としたようだった。それまでに度々落としていたので不死身の杉元よりも傷だらけのスマホだったが、最後の最後に力尽きてしまったようだった。
7年というそこそこの懲役刑並の期間を一緒に過ごしたにも関わらず、その最期をちゃんと覚えていないことに、機種変更後も申し訳ない思いがある。
(実際には液晶だけがイカれた状態だったのでデータの復旧は成功したのだが)

思い返してみると、飲酒するようになってから、何らかの"事"が起こった、あるいは起こした瞬間の記憶が酒が入っていて曖昧というようなことが少なくない。

嬉しいことや嫌なことが起こった時、人と出会ったり別れたりした時、親族や友人の訃報が届いた時。その翌朝、酒で濁った脳の中で前日の出来事を振り返り、おぼろげに嬉しくなったり、後悔が津波のように襲ってきたり、悲しみに侵食されたり、という経験が度々ある。

幸か不幸か、酔っていたからと言ってスマホを落とす以上の間違った行動や判断をしたり、普段考えてもいなかったような行為をしてしまったというようなことはなかったので、自分の歴史が飲酒時に作られてきたこと自体に慙愧の念はそれほどないのだが、"事"に至るまでの覚悟や、"事"が起きてからの喪心を酒に頼っていた点についてはそれなりに残念な気持ちがある。もう少し自分の感情に寄り添ってあげてもよかったのではないだろうか、そこが自分の弱くて駄目なところなのではないだろうか、と感じてしまうのだ。

映画の『スマホを落としただけなのに』は、スマホを落としただけなのに犯罪に巻き込まれたり殺人鬼に狙われたりしていたが、僕の場合はスマホを落としただけなのに自分の人生の弱さや粗さが見えてきてしまった。スケールは断然こちらの方が小さいが、救いが少ないのも僕の方なのではないだろうかと考えるとちょっと落ち込んでくる。

とはいえ、結局のところ大事な決断は歩いている時にしているのだが。
(スマホっぽい写真がなかった)

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