物持ちの良さと情の厚さは比例しながら反比例する

長年使っているパイプ素材の枕がある。
いつ、どこで買ったのかは思い出せないのだけど、絶妙な硬さと反発力が気に入っていて、少なくとも10年以上は使っている。
枕カバー自体は定期的に換えているのだが、大量のパイプ素材をまとめるネットの部分は長年同じものを使っていて、洗濯する際には一度パイプ素材を別の袋に移して洗っている。パイプ素材の洗い方はよくわからないので、水にさらして天日干しすればフカフカになって気持ちがいいのだ。

そんな長年の相棒の枕だが、昨年、ちょっといい枕を買ってからは、枕の最前線である寝室での出番が減ってしまっている。もしかすると、ちょっといい枕からは「せんぱーい、おつかれーす」などと蔑まれているかもしれない。とはいえ、パイプ素材の枕も寝室以外で寝っ転がる際には重宝しているし、ちょっといい枕もきっとそんなに性格が悪いやつではないはずなのだが。
ただ最近、パイプ素材の枕の様子がおかしい。持ち主の正室としての立場が奪われてしまったからなのか、パイプ素材をまとめるネットの部分が急にほつれ出してしまった。リビングでこの枕を敷いて横になっていると、気づくと床にパイプ素材の枕のアイデンティティと言えるパイプ素材の部分が散らばっていたりして、もうそろそろコイツとはお別れなのかもしれないな…などと感傷に浸りつつなんて勝手な人間の都合!と思ったりもする。

長年使っているブランケットがある。
いつ、どこで買ったのかは思い出せないのだけど、絶妙な軽さと肌触りが気に入っていて、少なくとも10年以上は使っている。
夏場はこのブランケットを体にかけて寝ている。僕は顔の上に何かを掛けないとうまく眠れない性質なので、冬場はこのブランケットを掛けてうまい具合に防寒と眠気誘引を両立させている。正直このブランケットがあると安心する。「ライナスの毛布」というやつだろう。

そんな長年の相棒のブランケットだが、最近確実に寿命が近づいてしまっている。ブランケットの四辺はほつれ始め、叩けばホコリが舞い、洗濯をすれば大量の糸くずが出て他の洗濯物をも侵食する。もうそろそろコイツとはお別れなのかもしれないな…などと感傷に浸りつつなんて勝手な人間の都合!と思ったりもする。

長年着続けているシャツがある。
いつ、どこで買ったのかは思い出せないのだけど、絶妙な色合いと着心地の良さが気に入っていて、少なくとも10年以上は着ている。
春先はこのシャツを着て頻繁に外出していたし、秋口はこのシャツの上にジャケットやカーディガンを羽織って客先に出ていた。ちゃんとした格好が苦手な僕にとって、フォーマルとカジュアルの絶妙な落とし所をつけてくれるシャツとして長年重宝していた。

ただ最近、長年の相棒のこのシャツが、だいぶヨレヨレになってきてしまっている。襟口がほつれはじめ、袖も微妙に傷ついている。胸のあたりにはいつ付いたのかわからないボールペンのシミのようなものが点々とついている。もうそろそろコイツとはお別れなのかもしれないな…などと感傷に浸りつつなんて勝手な人間の都合!と思ったりもする。

枕も、ブランケットも、シャツも、もうそろそろ捨てなくてはならない。
でも未だに捨てきれていない。
捨てるタイミングがわからないというか、捨てていいのだろうか、捨てたら呪われないだろうか、という思いもある。
ただ、今ここで捨てた方が枕の、ブランケットの、シャツのためにもなるのではないだろうかと、勝手な人間の都合で思ったりもする。

物持ちの良さと情の厚さは比例しながら反比例するのである。

愛着があっても敢えて捨てることが良い場合もあるのだろう

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